新しき村ドライブ後編! 毛呂山町とその周辺を探索する
前回↓に引き続き、新しき村の周辺ドライブと、まとめです。
突然ですが、新しき村がある「毛呂山町」……なんて読むか分かりますか?
僕はずっと「ケロヤマちょう」って呼んでました。両生類の鳴き声みたいなのどかな響きが良くないですか?
だけど、本当は「もろやまちょう」らしい。
きゅうりに合いそう(?)
というわけで、新しき村ドライブ後半戦。
新しき村内に食堂があることを期待していたんですが、自給自足の村、外向けの商業施設はないらしい。なので、蕎麦屋がたくさんあると教えてもらった市街地まで出ることに。
新しき村美術館の受付の人の話だと、このあたりは蕎麦が美味しいらしい。お蕎麦(キラキラ!)
すげぇ沢山蕎麦屋が出てくる。
評価高そうな「木村そば屋」に行くことに。
まさに街のそば屋って感じだ。こういう店は綺麗な外装補正がない分、美味しい気がする(当社比)
中に入ると、作業服姿の地元民っぽいおっちゃんがスパスパ煙草を吸っていて、もう最高である。期待が高まる。
案内された畳の席は、けっこう年季が入っていて、本当にここで店を初めてから長いんだろうなと思った。
海老野菜天ぷらそば(正確な名前忘れちゃった。¥900)を注文。
注文すると、なんとトントントン小気味いい音が。すげぇ、注文してから蕎麦を打ってる!
着丼。
ここまで期待が高まると、もはや肝心の味は怖くて仕方がなかったが、
美味い!!!
蕎麦は手打ちならではの食感を充分に楽しめるモチモチ感。天ぷらはサクサク。汁も程よく濃くて、とにかくめちゃくちゃ美味い。なんだこれ、人生20年間であらゆる蕎麦を食べたけどこんなに美味しいのは初めてかも!
進むにつれても、まったく減らない麺の量を見て、かなりボリュームもあるな、と感じた。田舎ならではの愛情サイズがたまらない。美味くて、量が多いというのは20代男にとっては文句の付け所がないのである。
「美味しかったです!!!」と思わず会計のときに言って店を出た。ごっそさん。
続いて、お隣の街、日高市にある高麗神社に。
「こうらいじんじゃこうらいじんじゃ!」と叫んでいたら、「こまじんじゃ」と読むらしい。「もろやま」に引き続き、とことん漢字が読めない。トホホ。
あんまりこちらは寒くてゆっくりお参りしなかったんですが、
写真が小さくて申し訳ない。お分かりいただけるだろうか……? 白い看板。「自動車お祓所」とある。すごい、こんなにお手軽インスタントにお祓いが出来てしまっていいんだろうか?
元々、高句麗の帰化人の方たちを住まわせていた一帯なので、その関係からか、駐日韓国大使とかナントカ道知事とか、けっこう韓国の政治家の人からの寄贈が多くて、そこが他の神社と少し違った印象を与えている神社だった。
なんか独特の可愛い像がある。なんじゃこりゃ。
写真をほとんど撮らなかった。本当にこの日は寒くて、この後、お参りしてすぐに撤収してしまった。尻切れとんぼだけど、この後、大きな渋滞もなく無事に新宿に帰りつけましたとさ。
まとめ
インターネットで「新しき村」と検索すると、上の方のサジェストで「失敗」とか「怖い」とかネガティブワードが一緒に現れがちである。
実際に、調べてみると高齢化やら後継者不足やらで村の人口はどんどん減っているんだそう。今の人口は10人ほどしかいないとか。廃村の危機である。
この一面を見て、「やはり実篤の試みは成功しなかった」とか言う人もいるみたい。
だけど、高齢化も後継者不足も、特にこの村だけの問題に限らないわけで、むしろある人の理想を体現した共同体が、今年で100周年を迎えるということが本当にすごいと思う。 聞いている分には「ふーん」だけど冷静に考えたら並大抵のことじゃない。長い。確かに人口10人じゃ村の維持という面では風前の灯火ともいえるのかもしれないけど、100年も1つの考え方を維持して、村がやってこれたということの方が僕にはすごいことのように思える。それだけ普遍性のある理念だったんだろう。
では、その普遍性のある理念ってなによ? である。
ここで新しき村の公式ホームページから武者小路実篤が提唱した「新しき村の精神」の一つ目と二つ目を引きたい。
新しき村は、武者小路実篤が提唱した、新しき村の精神に則った生活をすることを目指して、その活動を続けている。
その精神とは、・全世界の人間が天命を全うし、各個人の中にある自我を生長させることを理想とする。
・自己を生かすため、他人の自我を害してはならない。引用
おぉん!? これはすごいぞ。新しき村の始まりは、1918年。米騒動の年ですよ。そんな時代に、こんな高らかに個人主義を称揚するメッセージを出すのはすごいことじゃありませんか? それこそ米騒動に象徴されるように、資本家VS労働者の対立がクローズアップされる時代に、そこからさらに一歩進んで労働者同士でも個人と個人、そのバランスをどう取っていくかを考えていたなんて。まるで百年後の現代を見通していたかのような先進的な理念だと思いませんか?
新しき村が他の現存する共同体と一線を画しているのは、実際この点が大きいと思う。他の共同体と同じように労働の義務はあるものの、それ以外の時間は個人を尊重して、芸術活動等、自身の好きなことに打ち込むことが前提となっているのだ。
ワークライフバランスとかブラック企業とか、個人の働き方、生き方がクローズアップされる現代社会に、実篤の見出した精神は、これまで以上に一層響くんじゃないだろうか。